2011年6月アーカイブ

冨永愛が世界的評価を受けたことに、私たちは今まで覚えのない誇りを感じました。


少なくとも21世紀に入ってすぐ、私たちは"カッコいい"という形容詞が自分の中に足りないことを改めて自覚し・・・


真正面から"カッコよさ"を取り込み始めています。


世界基準の美しさ、というより世界のトップレベルの美しさを手に入れたと確信したのも束の間、自分に足りないものに気づいてしまった日本の女・・・。


しかし、"カッコよさ"とは、本当に長い手脚に、カジュアルを上手に着ることなんでしょうか?


かんぱん レーザー治療で美肌を手に入れたいと思う気持ちはよくわかります。


今の10代の少女は、タレントやモデルにはあまり関心がなく、憧れるのはもっぱら"アーティスト"だそうです。


あくまで歌がうまく、作詞や作曲もやって、なおかつファッションセンスが抜群のアーティスト。


顔だちの美しさは、ひとつの要素として最後に"オマケ"でくっつく程度でいい・・・。


これが、日本の若い世代が持っている"新しい美人"の定義なのです。


顔だけいいなんてカッコ悪い。


スタイルだけがイイのも何か弱い。


それより"才能"。


才能があって、でもそれだけじゃなく、ともかく成功していて、お金持ち・・・


これが次世代の考える"カッコよさ"の条件なのです。

70年代、日本人女性は欧米人になりたかったのです。


これは、たぶん自分たちにはない"カッコよさ"をそこに見出したからでしょうが・・・


その一方で日本の女は、多分に日本的性質をもったオードリー・ヘップバーンにも激しく憧れました。


これは、日本女性の美意識の葛藤をみごとに物語っています。


おそらく冨永愛を日本の女が受け入れ始めたのも、"カッコよさ"が足りないことへの焦燥感からなのでしょう。


あそこまでの手脚の長さは、今までなら大きな距離感を感じるばかりで、憧れにはなり得なかったのです。


冨永愛のリネンのような肌や媚びのない身体、その豹のような目・・・。


それは紛れもなく、日本が初めて世界へ配信した、日本オリジナルの"カッコよさ"。


しかし、笑顔をつくるとたちまち、DNAに組み込まれた"可愛さ"がのぞいたりもします。


その新しいバランスは、私たちが今どうしても欲しいものです。


ただ、美肌をつくることはレーザー しみ治療などで可能なのです。